週末に見たい1本の映画

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白黒サイレント映画の魅力



最近の映画で使われているCGはCGだと思えないくらい自然になってきましたね。『2001年宇宙の旅』では人間が猿の着ぐるみに入って猿の演技をしていましたが、もうその必要はありません。『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』では猿たちにリアリティがあり過ぎて、怖いくらいでした。アライグマがマシンガンをぶっ放すシーンだって、CGを使えば映像化できてしまいます。すごい時代ですよね。ほぼ何でも再現できてしまうのですから。ただ何でも再現が出来てしまって、見る側の想像力を必要としなくなったというのは悲しいですが…。

こんな時代にCGを使わない白黒サイレント映画を作ったのが『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』の監督ミシェル・アザナヴィシウスです。CGに物足りなさを感じていたときだったので、『アーティスト』のアナログな楽しさに大満足でした。言葉を発しないからこそ、役者さんの動きや表情が際立ちます。たとえば、主演男優のチャーミングな笑顔、彼の恋人となる女性の可笑しなダンスですね。「鮮明な」あるいは「美しすぎる」装飾を取り除くと、こんなにも役者の魅力が活かされ、ウィットに富んだロマンチックな映画になるということに新鮮な感動を味わいました。

『アーティスト』はサイレントからトーキーに変わるハリウッドを舞台にしています。サイレントからトーキーという過渡期を舞台にした映画としては『雨に唄えば』が有名ですよね。メイン・ストーリーは『スタア誕生』をオマージュしています。『雨に唄えば』や『スタア誕生』の他にも多くの名作をオマージュしています。たくさんの映画を見ている方の中には、このオマージュが多すぎて鬱陶しいと感じるようです。しかし、僕のように本数を見ていない者にとっては1920年代から50年代にかけての、いわゆる「映画が素晴らしかった頃」の雰囲気を感じられてウットリします。

それでは良い週末をお過ごしください。


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女性の可愛らしさ



明けましておめでとうございます。昨年から始めた「週末に見たい1本の映画」ですが、僕のブログを読んでくださる皆さまのおかげで書き続けられました。ありがとうございます。今までは名作・大作と呼ばれるものを中心に扱ってきましたが、今年からはTSUTAYAのように良作も発掘していきたいと思っています。なので、僕が好きなハートウォーミングな作品でなくても、何でも選り好みせずに見るというのが今年の目標です。

今年初めて紹介する映画は『女は女である』。監督はジャン=リュック・ゴダールですが、彼の作品は見ていると睡魔が襲ってきてしまい、最初から最後まで起きて見ていられないことが多いです。これは、ゴダールの作品がつまらないということを意味しているわけでは決してありません。ただ、僕の脳が映像についていけなくなるんですね。なので、何回目かでやっと最初から最後までみることができます。映画の演出に慣れてしまえば、とても面白く感じることができます。

『女は女である』はゴダールの作品の中でもかなり見やすい作品になっています。それでも、ハリウッド映画に慣れた僕の脳みそでは少し難しいところがありました。特に、音楽の演出です。映画の音楽は登場人物たちの心情を表したり、映画をよりロマンチックにしたりするためにあると僕は考えています。この映画は僕の考える音楽の使われ方をしていないような気がして、頭にクエスチョンマークがつくのです。

たとえば映画の冒頭、カメラはカフェの中から通りを歩く女性アンジェラを窓越しにとらえます。そのときに流れているのが哀愁漂う男性歌手の歌。通りを歩いていたアンジェラがカフェの中に入ります。流れていた歌は実はカフェのジュークボックスから流れていたもので、アンジェラは同じ曲を選曲します。店員に時間を聞いて慌てたアンジェラは急いでお店を出ると、流れていた曲はぷっつりと消えます(アメリカ映画だったら、お店を出ても曲はそのまま流れているか、お店の前あたりまではボリュームを落として流れ続けるイメージがあります。たとえば、『カサブランカ』のAs time goes byも店の内外問わずかかります。普通のシーンで音がぷっつり消えることはあまりないはずです)。カフェを出て通りを歩いているので、街の喧騒が聞こえてきます。そうかと思うと突然無音になり、そしてカフェで流れていた音楽がまた流れてくるのです。

音が急に鳴ったり、音がしなくなったり。何か意味はあるのだろうけど、その意味が分からなくて頭が混乱してしまい思考停止します。よほど勘のいい人でない限り、この音の演出の真意は映画を最後まで見ないと分かりません。僕はカフェで流れていた哀愁漂う曲が女性にとっては何なのかに着目したときに、この演出の意図がわかったような気がしました。その意図が見えると、この情緒不安定で訳の分からないことを言う女性をいとおしく感じます。

基本的には男女の考え方のずれを主題にした映画であるので、ハリウッド的なラブコメ要素が多分にあります。他のゴダールの作品と比べて見やすいと言ったのはこのためです。映像の省略によって生まれるリズムと音楽の演出に慣れてしまえば、女性が憎たらしくも可愛らしく思えるはずですよ。

それでは良い週末をお過ごしください。


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刹那的な恋



3週間ぶりの更新となってしまい、申し訳ありません。実は、卒論の執筆でブログの更新ができませんでした。テーマが「怪獣の恐さについて」だったので、『キング・コング』(1933)から『GODZILLA ゴジラ』までの怪獣映画・ドラマを見て研究しておりました。とても楽しかったのですが、提出時刻ギリギリまで執筆が終わらず、卒業できなかったらどうしようかと恐ろしかったです。今はもう提出も終わり、今週からブログの更新をしていきます。どうぞよろしくお願いします。

今週の映画は『伏 鉄砲娘の捕物帳』です。「伏」とは人間と犬との間に生まれた生き物。『おおかみこどもの雨と雪』のように、人間になったり獣になったりします。『伏~』も『おおかみこども~』も普段は人間の姿で、人間と同じように生きています。しかし『伏~』は人の魂を奪い食べてしまう「化け物」です。人間と同じような食生活を送り、人間を殺さない『おおかみこども~』とは違いますね。

人の魂を食らう「化け物」ですから、人間は伏を退治することに抵抗がありません。殺された伏は、さらし首になります。そんな伏を好きになってしまうのが人間の少女です。人間と「化け物」との恋は『シザーハンズ』、『ファントム・オブ・パラダイス』、『トワイライト』、『ウォームボディーズ』でも描かれていますね。どれも人間と「化け物」との差は大きく、己が「化け物」であることに悩み苦しみます。

特に『トワイライト』の「化け物」は吸血鬼であり、生き血を吸わないと死んでしまいます。恋してしまったのが人間の少女なので、常に彼女の血を渇望している状態です。『伏~』も『トワイライト』も人間の生を奪って喉の渇きを潤さなければならない。それなのに、人間の少女を好きになってしまった。命の危険がある恋だからこそ、刹那的で悲しく、刺激的で面白いです。

それでは良い週末をお過ごしください。


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忘れられない人



バイオリニストの男はバイオリンを破壊されてしまいます。しかも妻によって。思い出が詰まったバイオリンを壊されたので、男は死ぬことに決めました。「バイオリンを壊されたくらいで、なんて弱い人間なんだろう…」と思いますよね。

しかし、その弱さが良いんですね。死ぬことを決めたのは良いのだけれど、痛いのは嫌。ピストルで脳天を撃つ、崖から飛び降りるなどの死に方を想像しては断念します。もう死ぬことに決めたし、どうしようかと悩む。その死を自分のものにするまでのコミカルな描写がたまらなく好きでした。

そしてバイオリンに詰まった思い出の女性が美しすぎですね。もう夢か現かというくらい。結局、その女性との恋はあきらめなければいけませんでした。ですが、バイオリンを弾くことで思い出の女性と再会をしています。その美しい夢が破壊されたわけですから、生きている価値がなくなってしまうのも分かるような気がします。

それでは良い週末をお過ごしください。

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重たい無償の愛



プライドが高い人って負けず嫌いですよね。僕もそうです。負けるのが嫌なので、苦手なことや上手く出来ないことは基本的にやりません。だって、負けたときの屈辱感に苦しむのは辛いですからね。

この映画には2人の映画スターが出てきます。1人は人気の頂点にいる映画俳優ノーマン・メイン。もう1人はノーマンが見出したバンド歌手のヴィッキーです。ヴィッキーは映画に出演し始めると、ノーマンを追い越すほどの人気者になってしまいます。ノーマンとヴィッキーは結婚して大きな家を建てますが、ノーマンの仕事は減る一方です。

映画ではノーマンという映画スターの転落、そして彼をサポートするヴィッキーの「無償の愛」を描いています。ヴィッキーはノーマンの為に女優を辞める決心までしてしまいます。ヴィッキーの「無償の愛」は美しいです。

でも、プライドの高い人に対してそんなことをしてはいけません。ノーマンには華麗な映画スターだったというプライドがあります。ノーマンはヴィッキーを愛しているけれども、一緒にいるとプライドをズタズタにされます。さらにヴィッキーに女優を辞めるとまで言わせてしまったノーマンは自分の不甲斐なさ、惨めさに苦しむことになるのです。

無償の愛にカギかっこをつけたのは、その愛が押し付けがましいからです。最後のシーンでヴィッキーは自分をノーマン・メイン夫人(This is Mrs. Norman Maine.)と紹介して拍手喝采を浴びるのですが、これがいやらしく感じます。「無償の愛」には感動しませんでしたが、ノーマンがベッドの中で悶え苦しむシーンにはグッときました。

それでは良い週末をお過ごしください。

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